双極性障害主婦の日常生活

のんびりマイペースで♪

 

母が5月2日に亡くなりました。

80歳でした。

 

 

もう、あんまり長くないのかなぁと

3月ぐらいに思ってて。

 

 

そしたら、

4月の頭はびっくりするぐらい元気で。

まくりの息子につくしを取ってきてと

頼んでいて持って行ったつくしのガク?を

ベッドに座って取ってたし。

そして、

「来年は取りに行くからねー」

って話してた。

ご飯も少ないながらも食卓で

お寿司とか分けあって食べてたんよね。

 

 

でも、帰りの車の中で、

「なんか切ないね。

来年つくしを取りに行きたい

って言ってたけど、

来年は多分ないよね。」

って話してて。

でも、すごく元気だったから、

 

 

もう少しは生きてるかなぁ〜と思ってた。

息子もおばあちゃん、

無敵モードやったなぁと言ってたほど。

それが4/2の事。

 

 

その後4/8に実家方面に用事があって、

立ち寄ったらその時もまだ食卓で

ご飯を食べていた。

量は少なかったけど。

この時も会話も出来たし、

まだしっかりしていた。

 

 

その後4/17に行った。

その時は口内炎ができて、

食べ物が食べれないと言って、

全然食べてないなぁと思ってて。

まだ会話はしてた。

でも痛そうにしていて、

いつもは私達の夕飯を凄く気を遣っていて、

買っておいでって夕方になると言ってくるのに、

言わないなぁとは思ってた。

今思うと余裕がなくなるほど、

痛かったんだと思う。

 

 

その1週間後ぐらいに父からメールが来ていて。

食べないからだいぶ弱っている。

その3日後ぐらいにまたメールが来て。

訪問看護師と看取りに関しての書類に

サインをしたと。

来れるなら早く来て。

今なら会話は出来ると。

 

 

でも、すぐには行けず。

4/29に行った。

そしたら母はずっと目を瞑って寝ていて。

父が

「ほら、まくりが来たよ〜。」

って起こそうとしても反応がなかった。

兄が来ていて、

「一昨日ぐらいまではこっちが何を言ってるかは、分かってるみたい。

看護師さんやヘルパーの人が苦しい?って聞いたら、うんうんって頷いてたり、楽になった?って聞いたら首を横に振ってたりはしてた。」って。

娘に聞いたら、

「もう、意識が混濁してる感じ。

水を飲まそうと思ったら怖いとか言うし、

お腹の上に水が乗っていて重いからどけてって言ったり。」

その日は、母の手を握って、

「また来るね〜。」

って言って帰った。

 

 

そして帰る車の中で旦那さんに、

「もうすぐ死ぬんちゃうか…」

って話してて。

 

 

で、次の日に娘に、

「おばあちゃん、起きた?」

って聞いたら、

「ずっと寝てる」と。

 

 

そして、5月2日。

寝ようと旦那さんとベッドに入って。

でベッドの中で旦那さんとまくりのスマホ

見てて。

そしたら娘から着信が。

「なんか怖いなぁ…」と言いながら電話に出たら、

「おばあちゃんが息してないねん。」

と。

 

 

そして日にちが変わる前ぐらいに

看護師さんとお医者さんが来て、

亡くなってる。と。

 

 

そして5月3日がお通夜。

5月4日がお葬式でした。

 

 

癌だと聞いてから、

覚悟はしていたのですぐに受け止められたので、

自然な感じでお別れできました。

キレイな穏やかな顔で逝きました。

 

 

でも、正直な話、

死んだって実感がないんだよなぁ。

家にいない事が多かったからね。

まくりが小さな頃から。

専業主婦だったのに出かけるのが好きで、

ほんとに居なかったんだよなぁ😅

なんかどっかに行ってる感じ。

喪失感がない(笑)

ほんと自然にお別れできて良かった。

大きな悔いはないしね。

小さな悔いは、

まくりのお家に来れなかった事と、

義両親と会えなかった事かな。

 

 

癌が酷くなってから、

何回か入院していて。

ここ数年はコロナで面会が出来ないから、

つまんないって。

いよいよ悪いって時に入院って話になった時、

本人は入院したくないって言ってて。

兄が入院しろってめっちゃ怒ってて。

まくりは母がしたいようにしたらいいのになぁ

って思ってた。

結局その時は入院させられてたけど。

 

 

思っていたよりは痛いって言ってなかったなぁと

思ったら、

死んでから姉が言ってたのは、

「入院するのが嫌だったから、

本当は痛いくせに痛くないってずっと言ってた」

って。

痛がりで怖がりな母だったから、

相当我慢してたんだなぁって思う。

母は私に、

「パパと〇〇(まくりの娘)が居てくれるから、

寂しくなくてそれはよかった」って言ってた。

父は介護が大変だったみたいだけど、

家で、家族がいる場所で死ねて良かったなって

思う。

父も介護が大変って言うのは、

下の世話とかじゃなくて、

ご飯を食べないとか言うことを聞かないという点

だったんだけどね。

父はザ根性の人だから、

父から見たら母が頑張ってないように見えて、

それでイライラしてたみたい。

しんどいって言って動かないとか、

食べない事とか。

父は、お腹空いてなくても食べるし、

動くのも自分でリハビリしまくって…の人だからね。

父の方が外科的な事だけど、

いっぱい入院してその都度弱ってたからね。

父も癌の疑いって時があって、

放射線治療とかしてしんどかったろうに、

一切弱音は吐かずだったからね。

自分と同じように頑張って欲しかったんだろうね。

 

 

まくりの祖母が92歳まで生きたから、

母もすごくパワフルな人だし、

ストレスをうまく発散していて、

好きなように生きていたし、

長生きするのかなぁって思ってたから、

思っていたよりかはちょっと早かったなって思う。

絶対、父の方が先に死ぬと思ってたもん(笑)

でも、色々な事情も勘案して母の方が先に死んで

良かったんだろうなと思う。

 

 

そして、なんだかんだ母に1番お世話になったのは

まくりだと思う。

前夫が自殺して、まくりがボロボロになって、

子育て出来なくなったから、

娘と息子を育ててくれたしね。

 

 

まくりが再婚して、

旦那さんが養育費を沢山払っていて、

まくりのものや息子に関するものは、

まくりの貯金で払っているから、

金銭面では心配していたけど、

旦那さんとまくりが仲良しだから、

その面では安心してるんじゃないかな。

 

 

大きなボケもなく、

(お金取ったって言ったり徘徊したりとかはなく)

老人ホームも行く必要もなく、

ゴールデンウィーク中で、

みんなが休みの日で迷惑かける事もなくで、

偉かったよね😊

 

 

今までありがとう😊

 

 

これを書く事で、

グリーフケアが出来ました。

ありがとうございました。

 

 

f:id:maro4:20220510105809j:image